柳生をひともく

奈良市の東部、山あいに位置する柳生の里は、柳生一族ゆかりの地です。柳生家の本拠であると同時に、春日大社の信仰圏の一部で、南都仏教の修行場ともなっていたので、古来の貴重な仏教美術が数多く残されています。 柳生一族は新陰流剣術の達人であり、徳川将軍家に剣術を指南しました。奈良の山深い場所にある芳徳寺の近隣には新陰流の道場が置かれ、道場から奈良市街へと続く山道は、「滝坂の道」とも「柳生街道」とも呼ばれ、柳生を目指す剣士たちが行き交い、後には暮らしの道ともなりました。道中には、8世紀から14世紀にかけて造られた石仏群が点在し、さまざまな仏や菩薩が刻まれています。

歴史ある柳生の里

奈良市の東部、山あいに位置する柳生の里は、柳生一族ゆかりの地です。柳生家の本拠であると同時に、春日大社の信仰圏の一部で、南都仏教の修行場ともなっていたので、古来の貴重な仏教美術が数多く残されています。

柳生一族は新陰流剣術の達人であり、徳川将軍家に剣術を指南しました。奈良の山深い場所にある芳徳寺の近隣には新陰流の道場が置かれ、道場から奈良市街へと続く山道は、「滝坂の道」とも「柳生街道」とも呼ばれ、柳生を目指す剣士たちが行き交い、後には暮らしの道ともなった。道中には、8世紀から14世紀にかけて造られた石仏群が点在し、さまざまな仏や菩薩が刻まれています。

みどころ

  • 夜支布山口神社

    創建ははっきりしませんが、夜支布山口神社は平安時代の『延喜式』大和国十四の山口神社のひとつで、少なくとも800年の歴史をもつと考えられます。御祭神として祀られているのは素戔嗚尊。境内の摂社・立磐神社がもともとは本殿であったと考えられており、この神社の背後には大きな御神体の岩があり、大きなしめ縄がその神聖さを示します。日本における自然崇拝の歴史は数千年に及び、この神社もそうした古代の信仰の一環として創建されたと考えられます。

    現在の立磐神社の社殿は、奈良の春日大社に見られる独特の建築様式・春日造をよく表しています。かつて春日大社では20年ごとに社殿を建て替え、旧社殿は他の神社へと下賜されました。夜支布山口神社でも1747年にその一つを賜り、立磐神社の本殿(重要文化財)となっています。

    また、夜支布山口神社では「廻り明神」という祭事が伝わり、一年ごとに当屋の家に分霊を祀り、毎年8月17日の夜に、700年以上続く「大柳生の太鼓踊り」が当屋の庭で奉納されます。若者たちが大太鼓や腕前の小太鼓を打ち鳴らし舞い踊る勇壮な祭りです。過疎化の影響で参加者が減り、2010年代に一時中断されていましたが、地元の中学生たちによって復活し継続されています。

  • 長尾神社

    長尾神社には、境内社・摂社も多く、境内社として御霊神社、また末社として11社を祀っています。本殿(重要文化財)は、桃山時代(1573-1615年)に春日大社本社本殿(一の御殿)を移築したもので、1955年に国の重要文化財に指定されました。本殿は春日造りで、切妻造り・妻入りで、棟には千木・鰹木を置く神社本殿形式の一つで、春日大社本殿がその代表例です。

    境内には、かつて能楽の奉納に使われた屋根付きの能舞台があります。神社に伝わる能面(4面)は、室町時代(1392-1573年)に作られ、代々受け継がれてきました。これらの能面は県文化財に指定され、現在奈良県立美術館に寄託されています。現在この舞台での能楽奉納は行われていませんが、毎年の秋祭りでは、特色ある音楽奉納や相撲が奉納されます、実際に相撲をとるのではなく、刀の立ち回りの真似や滑稽な所作を交えて演じられるのが特徴です。

  • 丹生神社

    伝承によれば、丹生神社の創建は飛鳥・藤原時代に遡るといいます。本社には水の女神である罔象波乃賣命と丹生都比賣命を祀っています。重要文化財である本殿は春日造で檜皮葺。棟木に「嘉吉二年(1442年)」の墨書があり、蟇股や勾欄擬宝珠の意匠が大変美しいです。春日造とは、奈良の春日大社の様式を模した建築のことを指し、春日大社は藤原氏の氏神として知られています。

    平安時代になり、弘法大師とのゆかりが生まれ、仏教の真言密教と習合し、室町時代に隆盛を極めました。本殿のうしろにある高野槙の大木は、高野山から移されたとも伝えられています。

    明治時代に入り、神仏分離令に従い、寺院を廃したが、現在も、この神社の氏子地域には「三日地蔵」という仏教的な風習が残ります。これは、地蔵菩薩を納めた小さな厨子を背負い、三日ごとに次の氏子に引き継ぐもの。起源は不明だが、現在も氏子同士を結びつける重要な役割を果たしています。

  • 柳生家老屋敷

    この立派な屋敷は、旧岩代国(現在の福島県)出身の武士・小山田主鈴(1781-1856年)の旧宅です。主鈴は25歳のときに柳生家の家老に就任しました。当時、柳生家は度重なる不作によって多額の借財を抱えており、主鈴は米相場を見極めながら市場を奔走し、最適な時期と価格で米を売ることで柳生家の財政を立て直しました。その功績と勤勉さを称え、柳生家はこの土地を主鈴に与え、主鈴はそこに立派な屋敷を構えました。

    屋敷内には藩札や文献・新陰流兵法書など、その時代の鏡や化粧道具といった日用品に及ぶ、主鈴および柳生家ゆかりの品々が展示されています。また、邸内の日本庭園は約200年前に造られたもので、茶人・木津宗詮(1760-1858年)の作庭と考えられています。

    1964年、この屋敷は歴史小説で知られる作家・山岡荘八(1907-1978年)が購入し、後に奈良市に寄贈しました。彼の代表作は、剣豪・柳生宗矩(1571-1646年)の活躍を描いた小説『春の坂道』などがあります。また、山岡荘八に関する資料も展示されています。

  • 一刀石

    芳徳寺からおよそ700メートル離れた場所に、真っ二つに割れた大きな岩があります。伝説によると、この岩は名剣士・柳生宗厳(1527?–1606年)が、天狗と決闘した際に切り裂いたというのです。宗厳と天狗は一晩中激しく戦い、宗厳がとどめの一撃を加えようと剣を振り下ろした瞬間、天狗は姿を消しました。翌朝、この割れた岩があったと伝えられています。

    実際には、雨水が岩に染み込み凍結・膨張することで岩に圧力がかかり、二つに割れたと考えらますが、その割れ目の形状は非常に整っており、人為的に切ったかのように見えます。

    最近の大ヒット漫画・アニメ『鬼滅の刃』で、宗厳と天狗の伝説を思わせるエピソードが登場し、多くのファンが一刀石を訪れています。

基本情報

  • 夜支布山口神社、長尾神社、丹生神社境内自由
  • 柳生家老屋敷
    • 時間
      9:00〜17:00(受付は 16:30まで)
    • 料金
      大人350円
  • 詳しくは0742-94-0002(柳生観光協会)までご確認ください。