
忍辱山円成寺は、奈良公園のあたりから20分ほど車を走らせた場所にあります。現在は国道369号の脇に位置しますが、古くは山岳修行僧が行き交い、近世には柳生新陰流の剣士が行き交う柳生街道の途上でした。縁起をひもとけば、奈良時代に聖武上皇と孝謙天皇との勅願で鑑真和上の弟子、虚滝(ころう)が開いたと伝わります。また、平安時代終わりの1153年に円成寺に入り、真言密教の一派・忍辱山流を始めた寛遍(1100-1166年)は広隆寺、東寺、東大寺、仁和寺、円教寺のトップを務めた名僧であったことも、山中にありながら、一目置かれた寺院であったことを示しています。応仁の乱で失った堂塔の再興の先頭に立った栄弘もまた名僧で、徳川将軍家と円成寺との結びつきを作ったと考えられています。
奈良東部の緑豊かな山中にたたずむ円成寺は、美しい庭園と、仏師・運慶(1150頃~1223年)作の大日如来像をはじめとする多くの仏像を収蔵しています。寺伝によると、円成寺は1026年に僧・命禅(生没年不詳)によって創建されました。
数世紀にわたる戦乱を越えて
円成寺の創建当初の本尊は慈悲の菩薩である十一面観音で、1112年、来世の救済者として信仰を集めた阿弥陀如来へと変わりました。「末法」と呼ばれる仏法衰退の時代に、人々は苦しみのない極楽浄土への往生を約束する阿弥陀如来に救いを求めたことが影響したと考えられています。
円成寺は、応仁の乱(1467~1477年)に際し、大きな被害を受けたものの、襲撃を察知し、仏像を近隣の寺院に避難させました。襲撃の翌年には早くも再建が始まり、迅速に往時の姿を取り戻しました。
明治時代(1868~1912年)には廃仏毀釈の波を受け、寺域は縮小することになりましたが、そのときも多くの歴史的建造物を守り抜いたのです。

仏像と歴史ある庭園
現在、円成寺で最も知られているのは、国宝・大日如来像でしょう。日本を代表する仏師・運慶の最も初期の作で1176年の銘があります。当初は多宝塔に安置されていましたが、保存のために相應殿へと移されています。
円成寺の本堂には、かつての本尊である十一面観音像、現在の本尊である阿弥陀如来像を筆頭に多くの貴重な仏像が安置されています。これらは1467年の戦乱による寺院焼失をくぐり抜けたものがほとんどです。
円成寺の庭園は、平安時代(794~1185年)に造られた数少ない寝殿造庭園のひとつとして貴重です。

みどころ
-
春日堂・白山堂国宝
これらは、奈良市中心部の春日大社から拝領した社殿です。春日大社では、20年ごとに社殿の式年造替があり、それまで使っていた建物は近隣の寺社などに譲られます。円成寺にある春日堂・白山堂は、春日大社から拝領した社殿のうち現存最古のものです。
これらの社殿が円成寺に移された際には、神々を祀り、寺院の守護のために設置されました。日本では明治時代まで仏教と神道は密接な関係にあったため、寺院に神社があることは珍しくありません。左の社殿は春日大明神、右の社殿は白山大権現を祀っています。
大正5年(1916年)の解体修理で小木札(棟札)が発見され、最も古い修理が明応3年(1494年)に行われたことが判明したため、鎌倉時代初期(1185-1333年)に建造されたと考えられます。
これらは、奈良市中心部の春日大社から拝領した社殿です。春日大社では、20年ごとに社殿の式年造替があり、それまで使っていた建物は近隣の寺社などに譲られます。円成寺にある春日堂・白山堂は、春日大社から拝領した社殿のうち現存最古のものです。
これらの社殿が円成寺に移された際には、神々を祀り、寺院の守護のために設置されました。日本では明治時代まで仏教と神道は密接な関係にあったため、寺院に神社があることは珍しくありません。左の社殿は春日大明神、右の社殿は白山大権現を祀っています。
大正5年(1916年)の解体修理で小木札(棟札)が発見され、最も古い修理が明応3年(1494年)に行われたことが判明したため、鎌倉時代初期(1185-1333年)に建造されたと考えられます。 -
楼門重要文化財
この門は、多くの堂塔が応仁の乱(1467-1477年)の前年に焼失した際に焼けましたが、2年後に再建されました。上層は縁板も勾欄、扉もなく、実際に使うことはできません。檜皮葺で、朱も塗られていませんが、清楚で軽やかな美しさがあります。門の両側の上部に直接取り付けられた美しい花肘木が見どころです。花肘木は、鎌倉時代後期に登場し、さまざまなデザインがありますが、ここでは、正面に蓮の花をモチーフにした飾り、背面には牡丹の花をモチーフにした飾りで大変優れた意匠となっています。
この門は、多くの堂塔が応仁の乱(1467-1477年)の前年に焼失した際に焼けましたが、2年後に再建されました。上層は縁板も勾欄、扉もなく、実際に使うことはできません。檜皮葺で、朱も塗られていませんが、清楚で軽やかな美しさがあります。門の両側の上部に直接取り付けられた美しい花肘木が見どころです。花肘木は、鎌倉時代後期に登場し、さまざまなデザインがありますが、ここでは、正面に蓮の花をモチーフにした飾り、背面には牡丹の花をモチーフにした飾りで大変優れた意匠となっています。
-
本堂
創建当初の本堂は、応仁の乱が勃発した前年の天正元年(1466年)2月、円成寺のほとんどの堂宇とともに焼失しました。再建はその翌月に始まり、平安時代後期(794-1185年)の元の本堂と同じ様式・規模で迅速に再建されました。正面の階段の両脇にある舞台のような部分も元からあったものです。 本堂には本尊・阿弥陀如来像(天永3年・1112年作)が安置されています。内陣には、阿弥陀如来が浄土より迎えにくる際に随行する二十五菩薩を描いた四本の来迎柱があります。柱の台座は、当初の本堂のものと伝わっています。
内陣両側の左右庇の部分は、宝蔵、経蔵、籠堂の他、仏堂を設け、仏堂には、かつて本尊であった十一面観音像が安置されています。
創建当初の本堂は、応仁の乱が勃発した前年の天正元年(1466年)2月、円成寺のほとんどの堂宇とともに焼失しました。再建はその翌月に始まり、平安時代後期(794-1185年)の元の本堂と同じ様式・規模で迅速に再建されました。正面の階段の両脇にある舞台のような部分も元からあったものです。 本堂には本尊・阿弥陀如来像(天永3年・1112年作)が安置されています。内陣には、阿弥陀如来が浄土より迎えにくる際に随行する二十五菩薩を描いた四本の来迎柱があります。柱の台座は、当初の本堂のものと伝わっています。
内陣両側の左右庇の部分は、宝蔵、経蔵、籠堂の他、仏堂を設け、仏堂には、かつて本尊であった十一面観音像が安置されています。 -
護摩堂
真言宗などの密教で行われる護摩の儀式を行うためのお堂です。堂内には、弘法大師空海、智慧の菩薩である文殊菩薩、不動の智を象徴する不動明王の三尊が安置されています。
文殊菩薩像は、かつては円成寺の食堂に安置されていたものです。円成寺では、不動明王の縁日である毎月28日に護摩供が厳修されています。
真言宗などの密教で行われる護摩の儀式を行うためのお堂です。堂内には、弘法大師空海、智慧の菩薩である文殊菩薩、不動の智を象徴する不動明王の三尊が安置されています。
文殊菩薩像は、かつては円成寺の食堂に安置されていたものです。円成寺では、不動明王の縁日である毎月28日に護摩供が厳修されています。 -
宇賀神本殿
宇賀神とは、音楽や芸術の神として古くから信仰されてきた神で、人間の頭(男性または女性)と白蛇の体を持つ姿で表されます。ヒンドゥー教の女神で、仏教や神道に取り入れられた弁才天との共通点が多くあります。弁才天は、音楽や芸術の女神であるだけでなく、蛇と結びつく強力な水の神でもあることから、宇賀神と弁才天は次第に宇賀弁天や宇賀弁財天と呼ばれる一体の神として信仰されるようになりました。
すぐ隣に建つ春日堂・白山堂と同様に、この社殿は春日造の様式で建てられています。屋根は中央が反り、端で直線になる唐破風となっています。これは鎌倉時代(1185-1333年)に生まれた革新的な建築様式で、奈良県内の現存最古の唐破風屋根です。
宇賀神とは、音楽や芸術の神として古くから信仰されてきた神で、人間の頭(男性または女性)と白蛇の体を持つ姿で表されます。ヒンドゥー教の女神で、仏教や神道に取り入れられた弁才天との共通点が多くあります。弁才天は、音楽や芸術の女神であるだけでなく、蛇と結びつく強力な水の神でもあることから、宇賀神と弁才天は次第に宇賀弁天や宇賀弁財天と呼ばれる一体の神として信仰されるようになりました。
すぐ隣に建つ春日堂・白山堂と同様に、この社殿は春日造の様式で建てられています。屋根は中央が反り、端で直線になる唐破風となっています。これは鎌倉時代(1185-1333年)に生まれた革新的な建築様式で、奈良県内の現存最古の唐破風屋根です。 -
多宝塔
多宝塔は、密教寺院に多く見られる二層構造の塔です。最初の塔は、安元2年(1176年)頃、運慶作の大日如来像を安置するために建てられました。大日如来像は国宝に指定され、保存のため新築した相應殿へと移されています。それに伴い、現在の多宝塔には模刻の大日如来像が安置されています。
複製の像は、東京藝術大学大学院生だった藤曲隆哉氏(1982年~)によって制作されました。運慶が用いた歴史的な技法や道具を再現して制作し、運慶作の像の当初の姿を彷彿させる名品です。 現在の多宝塔は三代目の建物で、最初の塔は天正元年(1466年)の戦火で焼失、二代目は大正9年(1920年)に鎌倉の長寿寺へ移され、現在の塔は昭和61年(1986年)に建立されました。
多宝塔は、密教寺院に多く見られる二層構造の塔です。最初の塔は、安元2年(1176年)頃、運慶作の大日如来像を安置するために建てられました。大日如来像は国宝に指定され、保存のため新築した相應殿へと移されています。それに伴い、現在の多宝塔には模刻の大日如来像が安置されています。
複製の像は、東京藝術大学大学院生だった藤曲隆哉氏(1982年~)によって制作されました。運慶が用いた歴史的な技法や道具を再現して制作し、運慶作の像の当初の姿を彷彿させる名品です。 現在の多宝塔は三代目の建物で、最初の塔は天正元年(1466年)の戦火で焼失、二代目は大正9年(1920年)に鎌倉の長寿寺へ移され、現在の塔は昭和61年(1986年)に建立されました。 -
庭園
円成寺の庭園は、寛遍僧正(1100-1166年)の指導のもとで築造されたとされ、その形は梵字の「バン」を基にしているとされます。この梵字は、真言宗の本尊である大日如来を象徴します。
この庭園は、寝殿造系庭園の数少ない現存例のひとつで貴重です。寝殿造庭園とは、平安時代(794-1185年)の貴族の邸宅に見られた庭園様式で、二つの中島が築かれるのが特徴のひとつです。円成寺の庭園は、池のやや北寄りにひとつ目の中島があり、かつては朱塗りの反り橋がかかっていました。西寄りにふたつ目の中島があります。
明治初期(1868-1912年)に池が埋め立てられ、県道の開通によって二分されてしまい、庭園の景観が大きく損なわれてしまいましたが、昭和36年(1961年)に県道を南に移し、元の寝殿造庭園の様式に復元しました。
円成寺の庭園は、寛遍僧正(1100-1166年)の指導のもとで築造されたとされ、その形は梵字の「バン」を基にしているとされます。この梵字は、真言宗の本尊である大日如来を象徴します。
この庭園は、寝殿造系庭園の数少ない現存例のひとつで貴重です。寝殿造庭園とは、平安時代(794-1185年)の貴族の邸宅に見られた庭園様式で、二つの中島が築かれるのが特徴のひとつです。円成寺の庭園は、池のやや北寄りにひとつ目の中島があり、かつては朱塗りの反り橋がかかっていました。西寄りにふたつ目の中島があります。
明治初期(1868-1912年)に池が埋め立てられ、県道の開通によって二分されてしまい、庭園の景観が大きく損なわれてしまいましたが、昭和36年(1961年)に県道を南に移し、元の寝殿造庭園の様式に復元しました。 -
大日如来坐像国宝
仏師・運慶(1150頃-1223年)の最初期の作例で、制作当時運慶は25歳前後でした。像の台座には運慶自身による銘文があり、安元元年(1175年)11月24日に制作が発注され、1176年10月19日に完成したと記されています。
この像には、後の運慶の作風の特徴である写実性が、体の張りやふくよかさ、水晶を埋め込んだ玉眼などに見られます。手は「智拳印」を結び、仏の智慧をすべての生けるものと分かち合うことを表しています。
如来像は一般的に釈迦が着ていたとされる簡素な衣服であることが多いのですが、大日如来像だけは、王冠や首飾り、腕輪など豪華な装飾品を付けており、円成寺の像も同様です。これは、大日如来が宇宙の真理を体現し、すべての存在界を統べる特別な存在であるためです。
仏師・運慶(1150頃-1223年)の最初期の作例で、制作当時運慶は25歳前後でした。像の台座には運慶自身による銘文があり、安元元年(1175年)11月24日に制作が発注され、1176年10月19日に完成したと記されています。
この像には、後の運慶の作風の特徴である写実性が、体の張りやふくよかさ、水晶を埋め込んだ玉眼などに見られます。手は「智拳印」を結び、仏の智慧をすべての生けるものと分かち合うことを表しています。
如来像は一般的に釈迦が着ていたとされる簡素な衣服であることが多いのですが、大日如来像だけは、王冠や首飾り、腕輪など豪華な装飾品を付けており、円成寺の像も同様です。これは、大日如来が宇宙の真理を体現し、すべての存在界を統べる特別な存在であるためです。 -
阿弥陀如来坐像重要文化財
天永3年(1112年)以降、本尊として安置されています。阿弥陀仏は広く信仰されている仏で、その名を唱える者には、苦しみのない浄土に生まれ変わると誓いを立てられた仏と考えられています。
この阿弥陀像は、柔らかな体の輪郭、穏やかな表情、繊細で幼い印象の顔立ちが特徴で、平安時代後期(794-1185年)に主流であった定朝様式をよく表しています。迷いを超え悟りを開いたことを示す「上品上生印」を結んでいます。半眼でやや下向きのまなざしは、人々を浄土へと導くためだとされます。
透かし彫りの光背は平安時代後期のもので、大変希少です。九重の蓮の台座も珍しいものです。
天永3年(1112年)以降、本尊として安置されています。阿弥陀仏は広く信仰されている仏で、その名を唱える者には、苦しみのない浄土に生まれ変わると誓いを立てられた仏と考えられています。
この阿弥陀像は、柔らかな体の輪郭、穏やかな表情、繊細で幼い印象の顔立ちが特徴で、平安時代後期(794-1185年)に主流であった定朝様式をよく表しています。迷いを超え悟りを開いたことを示す「上品上生印」を結んでいます。半眼でやや下向きのまなざしは、人々を浄土へと導くためだとされます。
透かし彫りの光背は平安時代後期のもので、大変希少です。九重の蓮の台座も珍しいものです。 -
四天王像重要文化財
阿弥陀如来の周囲には、四方の守護神である四天王が配されています。鎧をまとい武器を持ったこれらの天王は、邪悪を防ぐとされます。
檜で作られており、体のねじれや鎧の細かなひだや文様には、鎌倉時代初期(1185-1333年)の写実的な彫刻様式が見られます。かつての鮮やかな色彩や文様の一部が今も残っています。
台座内部の銘文によると、持国天像は建保5年(1217年)の作となります。持国天は東方の王で、他の守護神の前、阿弥陀の左側に立っています。力強い造形は、仏像美術の慶派の様式に似ており、運慶(1150頃-1223年)の四男である康勝(生没年不詳)の作である可能性があります。
阿弥陀如来の周囲には、四方の守護神である四天王が配されています。鎧をまとい武器を持ったこれらの天王は、邪悪を防ぐとされます。
檜で作られており、体のねじれや鎧の細かなひだや文様には、鎌倉時代初期(1185-1333年)の写実的な彫刻様式が見られます。かつての鮮やかな色彩や文様の一部が今も残っています。
台座内部の銘文によると、持国天像は建保5年(1217年)の作となります。持国天は東方の王で、他の守護神の前、阿弥陀の左側に立っています。力強い造形は、仏像美術の慶派の様式に似ており、運慶(1150頃-1223年)の四男である康勝(生没年不詳)の作である可能性があります。
基本情報
円成寺
-
拝観時間
9:00~17:00(受付は17:00まで)
-
拝観料
大人500円
- 詳しくは公式ホームページでご確認ください。



